ポンコツ山田.com

漫画の話です。

愛ある文章 作品への敬意

ニュースサイト以外にネットで巡回しているサイト様も何軒かあるんですが、その巡る理由となる文章の面白さはどのような形容で具体化できるのか、少し考えてみたいと思います。


特に最近は漫画のレビュー関連も書くようになったので、同様にレビューをしてらっしゃるサイト様を頻繁に見回りますが、一番好きなのはこちら

たまごまごごはん

です。

何がいいって、その文章に溢れる、テーマとした漫画などへの愛です。たまごまごさんの文章には愛が溢れています。

愛が溢れるってのはつまるところ「好き」ってことなんですけど、その「自分がその作品を好きな理由」をちゃんと見つめなおして、他の人も共感できるよう文章を構築しているんです。

自分が好きなこと(もの)を「好き」と声高に叫ぶことは簡単です。「面白い」や「最高」、「今年一押し」など、思いつく限りの賛辞の言葉を並べ立てればそれで済みますから。
でも、当然自分のセンスが常に世の中のマジョリティであるはずもなく、時として皆から「いや、それはちょっと……」と顔をしかめられてしまうこともないではありません。
そもそも、その自分が好きな作品を他の人が知らなければ、自分の賛辞はただの空言でしかありません。「好き」や「最高」といった言葉は主観的であるに過ぎず、その言葉のみで一般レベルでの共感を得ることは出来ないのです。
仮に自分自身に強力な権威があり、その発言は検討されることなく人々の共通了解となりえるとすれば、抽象的な賛辞でも有用な発言となりますが、現実問題としてそんなことが出来る人はほぼ皆無です。
ましてやインターネットという匿名性の高いメディアでの発言は、その発言者自身の姿は極めて見えにくいものです。ネットの彼方から発されるデータとしての言葉には、その情報以外の価値を付与しづらいのです。


それゆえ、人が自分の意見、特に実在する事物についての評価をするときには、その言葉(意見、評価etc.)が具体的な形を持つように考慮しなければいけません。

ある作品の名前を挙げて、それが面白かった、サイコー、などといった具体性に乏しい評価をするだけでは、その発信者を露とも知らない受信者は、その評価から有益な情報をほとんど汲みだすことが出来ないのです。せいぜい、「ネットのどこかには、この作品について好意的な評価を出す人が一人はいる」ぐらいのものでしかありません。

最低限、自分はこれこれこのような場面にこれこれこのようなことを感じた、くらいのことは書かなければ、受け手の側もその評価に対する判断を下すことが出来ないでしょう。

「ある評価」に対してさらに「評価」がなされなければ、メタ評価が出来なければ、もともとの「ある評価」には評価としての価値は乏しいといわざるを得ません。
純粋にネットから得られるだけの情報(テキスト、画像、あるいは音声でも)でしか受信者は判断が出来ず、その判断をなすには、情報にそれなりの質と量が要求されるのです。


作品に対する評価、それも好意的な評価をわざわざネットで世界に発信する以上、そこにはその作品への愛があるでしょう。
その一つの理想像が、その作品をより多くの人に知ってもらうことであるなら、その情報にも愛があるはずで、その愛とは「作品への愛」であって、「ある作品を愛せる自分への自己愛」ではないのです。

ある作品への敬意が溢れた評価とは、「客観的に描写された主観的な評価」だと思います。
つまり、「自分はこの作品のこういうところが好きだ」ということを、その作品も自分自身も知らない人間に理解してもらうように書かれた評価です。
主観的な評価に客観性(一般性)を与えること。それが敬意であり、愛なのです。

この主観と客観の線引きも難しいですし、厳密に区別できるものでも無いですが、ひとつの尺度として、どれだけ多くの側面からその作品を評価できるか、ということがあると思います。
図形的な比喩で言えば、ある立体を平面図のみで表す場合、そのバリエーションが多ければ多いほど、その図形が何かということについて判断が下しやすいということです。
正円が描かれた一枚の平面図だけでは、その立体が球なのか、円柱なのか、あるいは円錐なのか、それとももっと複雑な形状の立体なのかわかりませんが、そこに側面図がいくつか加われば、より立体の形を限定していくことが出来るでしょう。

ある面だけを取り出して「面白い」とだけ言うのではなく、他の面からも評価を加えたり(キャラについて、ストーリーについて、絵について、ネームについて、表現技法についてetc.)あるいは逆に、ある面の面白さを色々な言葉を用いて評価し、その意味合いに膨らみを持たせたり、限定したり。
他の人がその評価を読んで、そこから評価を加えられるか。
それが、評価の客観性の一つの尺度だと思います。


作品を愛することと、作品に敬意を払うことはほぼ同一だと思いますが、作品に敬意を払うとは、その作品を粗雑に扱わないということです。物理的に本をどうこうというだけでなく、心理的に雑な捉え方をしないということも含めて。
愛する作品の評価を世界に発信する以上、その情報は決して粗雑に作られるべきではないのです。


愛ある文章を書ける人は、自分の心情を丁寧に「腑分け」出来る人だと思います。
簡単に言えば、感情への理由付けですね。
丁寧に自分の心を見つめて、どうしてこう思ったのかを筋道だてて考えることで、そこから客観性の高い評価(広くは文章)が書けるのではないでしょうか。

世間的にはかなりマイノリティな分野をレビューすることの多いたまごまごさんですが、その文章には、その分野を知らない人、その分野に興味が無い人でもなんとか興味を持ってもらえたらと願ってやまない愛が溢れています。私がお薦めするのも今更二郎な話ですが、未見の方は、どうぞ読んでみてください。私もあれだけ人に読む気を喚起させられる文章が書けたらなぁと思わずにはいられません。






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