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「少女ファイト」に見る、「子供」、「少女」、そして「乙女」への成長

少女ファイト(4) (KCデラックス イブニング)

少女ファイト(4) (KCデラックス イブニング)

バレーの名門・中高一貫の白雲山中学に所属している大石練(ねり)。三年生なのに補欠なのだが、隠しているその実力は部内でもトップクラス。小学校時代には全国大会で準優勝したチームのキャプテンだった程だが、彼女はある苦い記憶から、もう本気でバレーはやらず、友達も作らないと心に決めている。
けれど、チームメイトに怪我を負わせてしまった責任から練習試合に出ざるを得なくなってしまった練。久しぶりの試合に心浮き立ったからか、アクシデントからキャプテンと接触事故を起こしてしまい、自分の負った怪我と、キャプテンに怪我を負わしてしまった負い目でついに退部を決意する。
それでも彼女はバレーから逃げられない。別の高校に行き、一癖も二癖もある新たなチームメイトたちとバレーに取り組みながら、彼女は自分の心の傷と向き合っていく……


まずいです。
少女ファイト」が面白すぎます。

「少女ファイト」4巻特装版の学のノートが、ニヤニヤです。

勿論特装版買いました。

最新刊の四巻で何より感じたことは、主人公の練がめちゃくちゃかわいくなっていること。端的に言うなら、「乙女」の顔になってます。

上のあらすじにもありますが、主人公の練には辛い過去があります。それは大好きだった姉の死。そして、小学校時代のチームメイトに裏切られたこと。
この二つの重荷を背負っていることを前提として、一巻で中三時代が描かれているんですが、この時代の練の顔は、明らかに固い。閉ざしていた心が少しずつほぐれていく三巻以降と見比べてみると、心に壁を作っていて、それが表情に表れているのがありありと見て取れます。
それが、高校入学当初の二巻、同学年のチームメイトの危機をなんとかしようとした三巻と、他人との関わりを経ることで、どんどん表情に厚みが出てきてます。


一巻の時点の練のバックグラウンドを説明しましょう。

練の姉、真理が死んだのは、やはりバレーをやっていた彼女(というか、練は姉の影響でバレーを始めています)が出場する春高バレーの決勝前日。それも、風邪で家で寝ていた練のためにアイスを買って帰る途中の交通事故。当時10歳だった練は、そのことで自分をひどく責め、数ヶ月の間心を閉ざしてしまっていました。

10歳の練の主な遊び相手は、姉と幼馴染の式島兄弟。かなり狭い関係性の中で日常を過ごしていたと言えます。
そんな、まだ社会性が低い状態で唐突に姉を亡くし、そこからしばらくは本当に両親と式島家くらいしか交流がなかったようです。そして、バレーをやっている時だけは姉のことを忘れられたために、練は極端なまでにバレーに集中し、それが全国大会準優勝に結びつきました。でも、その度を越えたバレーへの入れ込みは、練に仲間としてのチームメイトを省みることを忘れさせ、「狂犬」という不名誉な仇名さえつけられ、最後にはチームメイトの裏切りにつながってしまいます。
その裏切りとは、全国大会準優勝を果たした練のチーム全員に白雲山中学から推薦がかかったのですが、中学で練とバレーをしたくなかったチームメイトたちは、練には何も言わずに推薦をボイコットしたこと。

姉の死と、そこを源とするチームメイトの裏切り。

姉の死以降の練は、ごく近しい人間たち以外には、まったくと言っていいほどに心を開いていませんでした。
姉の死で凍りついた心は、その後のバレーへの打ち込みで融かされることもなく、かえって辛さから眼を逸らすためだけに終わり、その逸らした視線の先にはチームメイトがいなかったのです。

チームメイトの裏切りを経て一人白雲山に入ってからは、バレーに本気にならないように、友達を作らないようにと自分に言い聞かせ続けました。
当然そんな心情で培われる思春期の社会性が健全なはずもなく、練は感情も本心も露にせずに寮での生活を送っていました。


ちょっと長くなりましたが、一巻の時点での練の顔は、このような過去を背負ったがゆえの表情の固い顔だったのです。
素人の暴論を言ってしまえば、思春期を迎える前に(あるいは迎えてすぐに)成長が停まってしまっていた顔だと思うのです。
もしくは、成長をすることを拒否した心、でしょうか。
中学に入った練は、普通に話もするし、笑顔も浮かべます。でもそれは、相手と親しくなるためではなく、必要以上に親しくなることを避けるため。「壁」としての笑顔なのです。
誰かと親しくなることで、心の在りようが変化する。それはつまり、自分への戒めを忘れることを恐れたのでしょう。
友達を作っても別れはいつかある。そのときに悲しいくらいなら、初めから友達は要らない。
そのための「壁」です。


ですが、そんな固い練の顔も、話数を経るごとに徐々に柔らかくなっていきます。
小学校の頃は、熱を上げすぎてしまったためにチームメイトへ気遣いができず、またチームメイトも付いていけなくなってしまいましたが、高校のチームの人間は、どいつもこいつも一癖も二癖もある人間ばかり。それでも共通しているのは、どいつもこいつも「バレーが好き」ということ。
二巻のメインである、入部してすぐのプチ紅白戦で、白熱した練は小学校時代の「狂犬モード」を一度だけ出してしまい、仲間を押しのけてまでボールを拾ってしまい自己嫌悪に落ち込みますが、あとでその仲間に恐る恐る聞いてみたら、全く気にしていないとのこと。その返事に練はほっとしたとともに、期待を抱いたことでしょう。もしかしたら、自分は本気でバレーをしてもいいんじゃないかと。

結果、この二巻を終える頃には、練の表情はかつての固いものから、「子供」のような素直なものに変化していきます。なんというか、ひどく幼く、無垢である印象を受けるのです。


三巻での事件で一年生同士の結束は強まりますが、その過程で練の顔は「子供」から「少女」へと変化していきます。

「子供」と「少女」の違いは、性差です。

「子供」は周囲の人間の性別に特別意識を払いません。自己の振る舞いに性的なものがあると思わず、また性的なものを他人が感じるとも思っていません。
それゆえ二巻の練は、スパッツを履いていたとはいえ、スカート姿で人前で回転レシーブをすることに全く躊躇していなかったのです。
そして、性差とは、ある意味での「弱さ」です。
これは男性女性関係ありません。長所は同時に短所であるように、ある特徴は弱さ、やわさになりうるのです。
その弱さ、やわさは、主に感情の揺れとして表れます。
「子供」時代にあった無垢さは、真っ直ぐさということと近似であり、真っ直ぐであるということは揺れないということです。そこに弱さ、やわさという心の揺れが出てくることが、「子供」から「少女」へ変化したということです。
三巻では、練はチームメイトに興味を持つようになり、また、自分がやってみたいと思うことを口に出します。外界から刺激を受け、自分の内部に変化が起こっているのです。
こうして、チームメイトとの交流を経て、練は「少女」へとなったのです。


そして最新刊では、冒頭の通り、練は「乙女」となりました。

「乙女」です。
「乙女」ですよ。
つまり「恋する乙女」ですよ。

実際四巻の半ばで、練は幼馴染の式島滋とゴニョゴニョしますが、そこら辺の練のかわいさったらもうまずいです。Fight.26の最初3ページなんて、「くっはー!!!」とならずにいられません。正直、こんなにかわいいと思った漫画のキャラはいないぐらいです。

これで

これで

これですよ?

悶え尽きかねない。
見ろ。とにかく読め!


とまあ心の叫びはさておき、「乙女」という言葉には、もはや枕詞として「恋する」という言葉が来てしまうものだと思います。言葉そのものに、誰かを恋しいという感情がビルトインされていると言っても過言ではないでしょう。

そんな偏見にまみれた前振りで恐縮ですが、では、「少女」と「乙女」を分けるものは何か。

それは感情の振り幅が大きくなったこと。そして、こちらがより大きいのですが、他者への気遣いをするようになったことです。
端的に言ってしまえば、成長するということは優しくなれるということです。

「少女」の意識の方向はあくまで自分中心。他人に見られる、他人といる自分はどうかということが第一となります。
三巻までの練は、他人に興味を向け始めますが、その意識の最終的な行き着く先は自分だったのです。
ですが、四巻に入ってから、練はごく自然にチームメイトに配慮をするようになり、そんな自分に違和感を感じることもなくなりました。今までは、誰か他人を気にする自分がいたら不思議に思っていた程なのに。

恋をすると人に優しくなれるとはいいますが、正に四巻の練はそんな具合です。
そして私は思うのですが、人に優しくなる余裕ができるからこそ、人は恋をするのではないかとも思います。この順逆の転倒はニワトリタマゴかもしれませんが、一義的にどちらと確定できるものでもないでしょう。

さらに言えば、練が優しくなったから、他人に気を配れるようになったからこそ、今までずっと練への片思いを秘めてきた滋が一歩を踏み出したのではないでしょうか。
他人と自分との関係性、そしてかつての自分と今の自分のギャップに恐れと不安を抱いてしまった練。でもそれは、不安を抱けるようになったと見るべきなのです。
昔の練は他人との関係に深く思い悩むことなんかなかったけれど、それは他人について深く考えていなかったから。そこに踏み込めるようになったからこそ、戸惑い、不安を覚えているのです。
優しさがゆえに恐れる、懼れる、畏れる。
優しさを覚えたことで、練は「少女」から「乙女」へとなったのだと思います。


さてこうして、巻を重ねるごとに練の表情に変化が出てきたと言い募ってきましたが、日本橋ヨヲコ先生の驚嘆すべきところは、表情の微妙な変化のつけ方が本当に巧みなことです。

腕のいい美容師は眉毛を数本抜くだけで客の雰囲気をがらりと変えるといいますが、日本橋先生はほんの僅かな眉毛の太さ、目尻の角度等で、極めて微妙な感情のニュアンスを表現します。その巧みさは、個人的には日本一と言いたいです。
一巻193ページの5コマ目、千代の寂しさと嬉しさと幽かな虚無感と怖さが入り混じった表情

とか、三巻40ページの4コマ目、厚子の照れくさくて嬉しいけどそれを隠したい表情

とか、挙げればきりがないです。

表情が持つニュアンスは文脈に非常に強く依存するので、この画像と私の説明だけでは役不足ですが、実際に漫画を見てもらえれば私の説明に頷いてもらえるかと思います。あるいは、私の説明に違和感を感じても、逆に「私はこう思う」と解釈のしようがあるはずです。

「目は口ほどにものを言う」や「百聞は一見に如かず」とは言いますが、日本橋先生は、キャラの心情を表すのに言葉に頼ることを殆どしません。
確実に何かを感じている表情を描くことで、言葉での説明以上に読者の解釈の幅を広めているのです。
さらに、そのような重要なキメシーンでは効果線はほとんど(おそらく全く)使われず、白々としたシンプルなコマの中にキャラの表情が浮かび上がるようになっています。それは、その表情の描き方の巧みさへの自信故なのでしょうか。


今回は特に練の表情にスポットを当てて長々と書きましたが、はっきり言って「少女ファイト」には他にも語れることが山ほどあります。
キャラの人間性とか、関係性とか、精神論だとか、私の心の琴線をハードロックにかき鳴らしています。そのことについてもいずれまた書きたいです。

連載が完結するまで死んでも死に切れないですわ、ホント。
少女ファイト」。絶対的に強烈プッシュします。






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