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「ネムルバカ」と石黒正数のもつ二つの柱

ネムルバカ (リュウコミックス)

ネムルバカ (リュウコミックス)

大学の女子寮で相部屋の、先輩・鯨井ルカと後輩・入巣柚実。
バンド活動に打ち込む先輩を見て、自分の自堕落さに悶々とする入巣だけれど、先輩は先輩でバンドの壁にぶつかり先が見えずにもがいている。
「大学生」という不思議な時間に包まれながら、二人は日々を暮らしている……

じわじわと人気を集めている(気がする)石黒正数先生の新刊。現在連載中の『それ町』は高校生だけど、こっちは大学生。
高校のときの狭い世界での箱庭的な日常を描く『それ町』とは逆に、広い世界に放り出された大学生の鬱屈した日常を描いてます。
箱庭の世界を意識せずに羽を伸ばしていた高校生と、世界の広さに何をすればいいのかわからない、今していることが正しいことなのかわからない大学生。対比すればそんな感じです。

上の『それ町』との比較でも出た、「箱庭の中で楽しむ奔放さ」と「世界の大きさに感じる無力感」が、石黒先生の二本のぶっとい柱だと思います。それはデビュー作から各作品にどちらか必ずある。
そして、後者があるときは、世界への無力感とともに、その無力感への抵抗も同時に絡めて行くのです。
それが、石黒先生のいい意味での「青臭さ」。
悪くこじらせた「青臭さ」は最終的にニヒリズムに陥ったり、やけっぱちで捨て鉢なエンディングを用意しますが、石黒先生はきちんと自分の意志でストーリーを描ききっている気がします。出した答えが借り物じゃないとでも言いましょうか、その「青臭さ」は、確かに石黒先生の「匂い」なのです。

しっかり描ききられた「青臭さ」はなかなか心地いいですよ。展開自体がテンプレ的であることは否めないですけど、作中随所随所で展開される先生の持論はなかなか素敵です。特に、作中に出てくる、世界の広さに背を向けて内輪だけで盛り上がる「自称ア〜チスト」たちを説明(というか揶揄)する「駄サイクル」の理屈は、その地口のセンスも含めて好きです。
理屈自体はなにがしかで知ってはいたりするけど、それをこういう風に作品の中で言い切られると、ニヒルな笑いが浮かびます。傲慢な言い方をすれば「わかってるじゃん」みたいな。

たぶん石黒先生はその「青臭さ」に自覚的だと思います。
表現者が他の表現者を批判する時に一番痛いのは、「そういうお前はどうなんだ」と返されることにまるで無防備なこと。他人に向けていた刃が自分に向けられると思っていない人間の言葉は、とても痛々しいです。
しかし、自分に向く刃の可能性を自覚するだけで、その刃の恐ろしさに口を噤んでしまっては何も言えなくなってしまいます。どこかでその恐怖を振り切って口を開かなくてはいけないのです。
きっと石黒先生は、目の前に刃がぶら下がっているつもりで「青臭さ」を描いているのでしょう。行けば刺さるし退けば何も言えない。そのジレンマを振り切った上での「自称ア〜チスト」たちへの「駄サイクル」論であると思います。


あと、どうやらこの作品はスターシステムを採用しているようで、主人公の鯨井ルカ(変換して初めて気づきましたが、「クジラ イルカ」に分解できる名前なんですね)と入巣柚実は、ほぼ間違いなく『それ町』の登場人物である紺双葉と嵐山歩鳥です。これは、紺と嵐山が大学生になって鯨井と入巣になるのではなく、『それ町』で紺や嵐山を演じている役者が、『ネムルバカ』で鯨井や入巣を演じているという意味です(テレビドラマや映画では当たり前に行われていることですが、漫画や小説などではこのような形態はスターシステムと呼ばれます)。
そして、なぜ今作はそれを採用していると言えるのかというと、容姿の相似もそうなんですが、「入巣柚実(イリスユミ)」の名前を五十音順に一文字前にずらすと「嵐山(アラシヤマ)」になるというギミックがあるからです。とあるサイトでこれを知った時は、痛いほど膝を打ちました。



一冊分のストーリーで「世界への無力感とそれへの抵抗」を描ききったこの作品は、石黒先生にとって一つのメルクマールだと思います。
それが形となったこの作品、特に暇を持て余している鬱々とした大学生に読んでもらいたいです。








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