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漫画の話です。

「品」のありかた

男女問わず、大事なのはやはり品だと思う。

今日喫茶店で小説を書いていたら、とにかく品のないしゃべり方をする女性がいた。
なんと表現しようか、「ああ、はいはい、あんたがそれをすごく面白く思ってしゃべってるのはわかったから、ちょっと話してる相手の顔を見てそれが本当に面白いのか確認してみて。ああもう、反応がないのは別に聞こえなかったからじゃないから、何回も繰り返さなくていいよ」といった感じの人。
この説明でおおむね状況は眼に浮かんでくれると思う。

これが女性というのが、私が目撃した中では珍しいパターン。男性だと時たま目撃しうる人材なんだけど。

この場合の、「品」というものから外れたと思われる行為を具体的に挙げてみよう。

・公共の場所で大声で話す(安めの喫茶店という場所の性質上、ある程度他の場所より許容範囲は広いだろうが、それでも限度はある)

・同じ話、同じ表現を細部だけ変えて好んで使いまわす(「くどさ」というものは「品」からは遠いところにあるものだと思う。表現の意図的な重複が技法上効果を現すこともあるけど、今回は微妙に細部を変えて表現を畳み掛けるというくどさの極み。自分で「この表現サイコーに面白い!」と思っていることがありありと知れる)

・自分の考えがだだ漏れになっている(上記でもちょっと触れたけど、意図が透けて見えるというのは品のいい悪いというか、単純にかっこ悪い。そして、かっこ悪いものを品がいいとは呼べない)

・話すトーンが高すぎる(興奮している姿というのは、基本的にみっともない。そこは見知らぬ人もいる喫茶店)


ま、こんな感じですか。

人の振り見て我が振りなおせ。
明日は我が身。

自分もこのような態度を公共の場で見せないように、あえて文字にしてみました。
品のなさというのは怖いものです。なにしろ、それは本質的に自身では非常に気づきづらいものだからです。普段の習慣、心構えから生じる態度の質を称して品と呼ぶものですから、普段的なものであるだけ、自分の眼で意識しづらいというからくりです。

ちなみに、「人の品の良さを云々するという行為は品がない」というパラドキシカルな反論は成立しうるので、こういうことはあまり人前では言わないようにするのが吉です。やむを得ず言う場合は(どうしても言わずにいられいくらい腹に据えかねたときとか。私にはそういうことがしょっちゅうあったり)、この反論を心に浮かべながら興奮(公憤でも近いかもしれない)に駆られることなく口にするようにしましょう。

それでは明日の予定はきまったかな?濱田マリでした。








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