ポンコツ山田.com

漫画の話です。

もし明日死ぬとしたら

「苗場君てさ、明日死ぬって言われたらどうする?」俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうすんの?」
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのにそんなことするわけ?」可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」文字だから想像するほかないけど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

(終末のフール/伊坂幸太郎 『鋼鉄のウール』より)

のっけから引用ですみません、山田ですこんにちは。 

「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

細部に違いはあれど、これに類する文章、皆さん一度は耳にするか眼にするか、何かしらで覚えがあると思います。わりと膾炙されるフレーズですよね。
私も昔から、主に小説でこの手のフレーズを読んでいますが、かっこよく響きはするもいまいち腑に落ちませんでした。しかし、齢22にして不肖山田、なんだか少しわかったような気がします。


「明日死ぬとしたら、生き方が変わる」という生き方は、未来の時間軸上のある一点における自分を、現在を起点に見ているものです。「明日死ぬって言われたらどうする?」という問い自体に、それが前提として含まれてます。それを判りやすく説明するために、逆の例を考えてみましょう。つまり、「未来の時間軸上のある一点(点M)における自分を、より未来にある仮設的な点(点F)から見る」ということです。
点Fから点Mを見るということは、既に自分がその点Mの時間を経験したということを想定しています。例えば今の22歳の私が40歳の私を想像する時に、18年後の自分はどうなっているのかと考えるのではなく、仮想的に60歳の私を想定して、その還暦の私が20年前のことを思い返すように考えるのです。
このような考え方を元にした「後悔をしない生き方」とはどのようなものか。それは、「点Fの自分が点Mの自分を思い返して後悔しないですむもの」となります。この生き方だと、「明日死ぬとしたらどうする?」というような問いをぶつけられても「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」なんて返答ができるんですね。もしかしたら「質問を質問で返すなぁ!」と怒られるかもしれませんが、それはまた別の話。

再び「点Fを現在(点P)を起点に考える」という話に戻ってみましょう。この考え方によれば、後悔しない生き方とは「今その一瞬を楽しく生きる」という極めて刹那的なものが導出されます。なにしろこの場合では、点Mは死という時間軸の消失点(点D)の向こう側にはいけません。それゆえ、点Dと点Pが近づけば近づくほど行為のスパンは短くなり、「明日死ぬとしたら」その行動は刹那的、快楽的、本能的なものに落ち込むことを免れ得ないのです。
しかし、点Fはその位置を点Dに拘束される必要はありません。あくまでその位置は仮設的なものであり、実際に余命一年もない人間が三十年後に点Fを設定してもなんら問題はないのです。

点Pから点Fを考える人間のほとんどは、点Dを平均寿命に設定していると思われます。20歳の人間だったら、あと60年くらい人生が残っている、といういわばカウントダウン方式とも呼べるような考え方です。しかし、平均寿命というのはそれほど甘い考えのものではありません。平均寿命が80歳というのは、60年後まで生きられるということを言っているのではなく、60年後には同世代の半分が死んでいるということを意味しているのです。10年後には死んでしまうかもしれないし、それは1年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。そんな可能性群を乗り切って、ようやく半分の人間が平均寿命を迎えられるのです。
そう考えると、なるほど刹那的に生きるほうが効率的なのかもしれません。明日も知れぬ我が身なら、自分が存続しているうちにやれることをやったほうがいい。それも一理です。
しかし、明日も知れぬということは、自分が平均寿命どころか、白寿を越えることもありうるという可能性も同時に含んでいます。「いつ死ぬかも判らないんだから、好き勝手生きる」、そう人に迷惑をかけることも厭わず生きた人間が平均寿命を越えた時、いったいどのような心持になるでしょうか。「充実した人生を送っているなぁ」ですって?僭越ながらありえないと断言させてもらいましょう。好き勝手生きて、他人に気を遣わず我を押し通して、それで全てが上手くいくほど世の中は甘くできていません。好き勝手な行動とは、そのスパンが短ければ短いほど自分に利をもたらし、長くなればなるほど害をもたらすものなのです。好き勝手に生きてさらに寿命なんか迎えた日には、他の人からの有形無形、意識無意識の圧力で、心身ともに疲弊しきっていることでしょう。決して楽しく充実した一生なんかにはならないはずです。


「あなたの今の行き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
言い換えれば、
「あなたは本当に平均寿命まで生きられると思っているんですか?」
って感じになるでしょうか。
80歳には死ぬから、卒業したら就職して、30歳には結婚して、40歳にはマイホームを建てて、50歳には子供を大学に入れて、60歳になったら定年して以降悠々自適の老後。
そんな生き方は誰が保証してくれたんですか?


点Fから時間軸上を動く点Mを振り返って、自分はそう生きて後悔しないか。そのように想像することができるかどうかが、後悔しない人生を送れるかどうかのポイントなんじゃないでしょうか。
今の一瞬は後悔しない。そんな刹那主義の考え方が必要な時があることは否定しませんが、それで全てが押し通せるかと問われればNOと言うでしょう。
点Mも点Dも、それは共に動点です。特に点Dにいたっては、自分で位置を決めることができない動点です。ならば、せめて自分で決められる点Fから人生を眺めてみるのも乙なものではないしょうか。








お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。